南越谷阿波踊りについて

南越谷阿波踊り由来碑

阿波踊りは、元来四国の徳島が発祥の地で、その起源は諸説ありますが、一説には、天正15年(1587年)に阿波一国(現徳島県)を与えられた蜂須賀家政公が徳島城を築城した際、その落成祝賀行事に城下の人々が踊ったのが始まりと言われています。

その阿波踊りを南越谷にと提唱したのが、徳島県出身で越谷市に本社を置く事業家の中内俊三氏でした。昭和58年(1983年)、事業を営む者として地元への恩返しを常に考えていた中内氏は、地域の人々にふるさと意識を呼び起こし、地元越谷が誇る〝文化〟としていきたいと、郷土徳島の誇る〝文化〟正調阿波踊りの開催に着目したのです。

中内氏の呼びかけは、様々な関係者のご賛同、ご尽力を頂くことになりました。まず、地元南越谷商店会・自治会・婦人会の方々の多大なご助力が、地域の人々のご理解とご協力を得ることとなり、越谷市・警察の開催承認へと繋がっていきました。そして、本場徳島の阿波おどり振興協会の方々による開催の全面的なご指導は、実現を大きく前進させることになりました。更に、中内氏が営む事業の協力会を始めとする取引会社の方々のご支援により、運営は可能なものとなっていきました。

そうした多くの関係者のご尽力により、提唱から二年後の昭和60年(1985年)8月24日、第1回南越谷阿波踊りが3万人の人出の中、熱い産声をあげたのです。踊る楽しさと喜びは多くの人々の共感を呼び、祭りの輪は回を重ねる毎に大きく広がっていきました。そして今では、延べ1万人に及ぶ開催全般のご協力者のもと、本場徳島・東京高円寺と併せて日本三大阿波踊りと言われる地元の祭りに発展し、夏の越谷に欠かせない風物詩となりました。

南越谷阿波踊りが今後益々地域の多くの人々を巻き込んで盛大となり、郷土越谷が誇る〝文化〟として永続していくことを願いつつ、平成16年(2004年)の第20回開催記念として本由来をここに刻みます。

平成16年8月吉日